Letter from Merida

フィールドこぼれ話(その2)

 メキシコ通信の第2弾は、from Meridaだと考えていた。しかし現実は、from Mexico Cityとなってしまった。ビザ発給に手間取ってしまったのである。客員研究員という立場でメキシコに1年間滞在するためには、駐在員ビザ(FM3)が必要だ。今年1月から在大阪メキシコ総領事館でビザの手続をはじめた。電話で問い合わせると、ファックスで申請書を送るから、それに必要事項を記入して返送すればいいとのこと。メキシコもシステマティックになったものだ、と感心した。

 その後の連絡で、現地の大学の招聘状や天理大学の滞在費支給証明が必要とのことで、すべて提出した。ここまではよかったのだが、つぎがいけなかった。ビザ発給の願い書を現地の大学が直接メキシコ外務省の領事課に提出しなければならないという。しかたなく、ユカタン大学にファックスを送ってお願いした。数日して、同大学から願い書を送ったという連絡が入った。これで安心して、じっと朗報を待っていたが、いっこうに知らせはこない。あげくのはて、願い書は、外務省でなく内務省に提出する必要があるという連絡が領事館から届いたのは3月末だった。このときユカタン大学はすでに学期末休暇に入っていた。

 やむをえず、東京のメキシコ大使館の通訳官である知人(天理大の先輩)になんとかならないかとお願いした。すぐに、大阪の領事に電話で交渉してくれて、なんとかしようという返事。ほっとしたが、その後連絡はなく、結局出発3日前に「願い書が内務省に提出されていないので、残念ながらビザは発給できない」というファックスが届いた。やむをえず新学期が始まったばかりのユカタン大学にファックスを送り、再提出を頼んだ。しかしながら、4月10日の出発までに手続きは完了しなかった。

 メキシコへはツーリスト・カードで入国した。メキシコ・シティのホテルに到着して、まもなく大阪の総領事館からファックスが届いた。どうやらユカタン大学が願い書を内務省に提出してくれて、ビザ発給の許可がおりたらしい。あくる日、さっそく内務省の入国管理事務所に出頭して、事情を説明した。しかし、発給の許可がおりたとはいえ、ツーリストとして入国してしまったからには、入国資格の変更の手続きが必要だとのこと。やむなく、申請書に記入し添付書類とともに、窓口で3時間待たされたすえ提出した。ここで、「3週間後に来なさい」という言葉が冷たく響いた。来週にはメリダに向け出発の予定だ。そんなに待てるわけがない。責任者の某氏に相談したら、「来週の火曜日に私のところへ来なさい」とのこと。そして火曜日の朝、「すぐに許可がでるから」と言われ待つこと7時間、夕方の4時過ぎにやっと許可が出た。

 しかし、入国資格の変更許可とビザの発給は別ものだった。許可書には、また別の申請書がくっついていた。ホテルに戻り、申請書の説明を読むと、記入はタイプライターに限るとのこと。髪の毛や肌の色、目や鼻の形など、30カ所ぐらいの欄がある。フロントに泣きついたら、近くの広場にタイピストがたくさんいるとのこと。半信半疑でその広場に行くと、タイプライターを置いた机が露天にずらりと並んでいる。メキシコでは、あらゆるサービス業が存在するのだ、とあらためて感心した。

 にもかかわらず入管の窓口では、10カ所以上も不備を指摘された。指示にしたがって、すぐそばの代書屋にもっていくと、15歳ぐらいの女の子が、砂消しゴムで不備の欄をさっさと消して、ものの5分で修正してしまった。「最初から、私のところへもってくればよかったのよ」とあっさり言われ、「次はそうする」と答えながら、もうこりごりだと思っていた。

 なんとか受理された。しかし発給日は5日後だという。また、すったもんだのすえ、その日のうちに発給してもらうことにした。オーバーと言われようが、ビザの手帳を手にしたときは、フル・マラソンを完走したような気分だった。そのプロセスを誰かに聞いてもらわないと気が済まないということで、この記事となった。日本で取得できるはずのビザが4か月かかっても発給されず、現地で1か月かかるはずの手続きがわずか1週間で完了した。メキシコは「なるようにしかならないが、なるようになる国」。日本でビザを申請した1月に、すでに「メキシカン・ナイト」のシュールな世界に迷い込んでいたのだ。

(初谷譲次)