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宗教と民族で解くアメリカス

中 牧 弘 允

 第二次世界大戦後の冷戦構造がソ連の解体や東独・東欧の社会主義政権の崩壊によってほとんど瓦解したかにみえる90年代、イデオロギーに代わって宗教や民族がにわかに復興し、宗教対立や民族紛争の形をとって世界各地でさまざまな事件や戦争をひきおこしている。湾岸戦争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はもとより、アフリカの民族紛争や難民問題、あるいはインドやスリランカの宗教的・民族的・政治的対立など、その例は枚挙に暇がない。宗教的・民族紛争がそれほどに深刻化していないアメリカ大陸においても、イヌイットの先住民権問題やサパティスタ国民解放戦線の武装蜂起、あるいはブランチ・デヴィディアン事件など、陰に陽に宗教や民族が頭をもたげている。

 ソ連や共産主義という「共通の敵」を見うしないかけているアメリカスにおいて、目下の「悪魔」はどこに想定されているのか。その「悪魔」との対決をとおして、アメリカスをはたして一つの文化・文明圏として把握できるのか。もちろん統一の動きは一部で活発化している。たとえばNAFTAやMERCOSURがアメリカスの自由貿易圏の確立をめざし、日本やECと経済的に対抗しようとする意図をもつことは、当初からあきらかである。だが、政治・経済的に、あるいは宗教・民族的に、アメリカスを統合する意識や論理をみいだすことは、ますます困難になっている。むしろ、北米で脚光を浴びる文化多元主義の思想や政策をとりあげ、アメリカ文明も多様化の時代に向かっていると論じるほうが、はるかに容易であるし、魅力的でもあろう。アメリカ合衆国におけるメルティング・ポット論からサラダボウル論への移行は、そのことを象徴的に示している。

しかしながら、ブラジルではメルティング・ポット論は瀕死の状態にないばかりか、むしろ混血のほうがすぐれた人種を生み出すという言説がもてはやされた時代すら存在した。後からやってきた移民集団をWASPに代表されるアメリカ主流文化に同化させるメルティング・ポット論のような論理は、混血のアイデンティティーが強調されるブラジルやメキシコの国々では、国民国家の形成期からすでに相対化されてきた。混血文化(メスティサヘ)をめぐる議論は、1996年のラテンアメリカ学会の分科会(ラテンアメリカにおける「混血」論の諸相)や目下継続中の国立民族学博物館の共同研究会(ラテンアメリカにおけるメスティサヘの研究)にうかがえるように、最近とみに活性化している。

 共産主義に代わる「共通の敵」としてアメリカスの宗教家や宗教者が戦っているのは、ひとつには「貧困」ではないかとおもう。貧困問題の解決が宗教活動の中心にあると主張するつもりはないが、すくなくとも貧困や経済的格差が突きつける問題の解決にアメリカスの宗教界は熱心である。それは裏返せば政治の貧困につながるのであるが、とくにラテンアメリカではカトリックの「解放の神学」にもとづくキリスト教基礎共同体が無数に設立され、貧困をはじめとする諸問題に小共同体単位で自律的に取り組むようになった。もっとも、軍政から民政化する過程で「解放の神学」は相対的にその影響力を減じたが、ペルーの日本大使館人質事件に見るように、カトリック教会のはたす役割りは依然として無視しがたいものがある。

 他方、プロテスタントのペンテコステ派も発祥地のアメリカ合衆国だけでなく、ラテンアメリカの各地に燎原の火のごとく広まりつつある。それは異言や宗教的癒しをともなう霊的刷新運動であるが、つましい生活が神意にかなうという信念のもと、農村や都市において貧困層の相互扶助と結束をうながし、カトリックの伝統的倫理に代わる生活規範を着実に浸透させつつある。アメリカ合衆国では著名なテレビ伝道師のおおくがペンテコステ派でありラテンアメリカではラジオ放送を通じて信者のネットワークを急速に拡大している。このようにペンテコステ運動は社会の大衆化にともなって、霊的な欲求を満たすだけでなく、貧困の解決にも一役買っている点で注目に値する。

 このペンテコステ派や、それに対抗する福音派(エバンジェリカルズ)は、ある意味で資本主義的体制において割りを食らってきた部分でもあり、工業化や近代化のあくなき追求にたいして精神的に反発・抵抗する人々でもある。とりわけ福音派は聖書無謬説をとるところからキリスト教ファンダメンタリズムのレッテルをはられているが、世俗化にブレーキをかける存在でもある。工業化を拒否するアーミッシュのような農村的生活を確保されない以上、キリスト教的世界にあってペンテコステ派や福音派のもつ意義はおおきく、アメリカスのみならず、90年代の東欧においてもその教勢を伸長させていることは、アメリカニストとして目を離せない点ではないかと思われる。

 資本主義的文明の矛盾が今後どのように露呈するかを予想するのはむつかしい。しかし、国民の観念ひとつをとってみても、ますますボーダレス化する世界にあって、北米流の文化多元主義では早晩コントロールがきかなくなるであろう。そのとき、アメリカスからはどのような叡知がしぼりだされるのであろうか。

(国立民族学博物館教授)