Letter from Merida

フィールドこぼれ話 (その1:予告編)

 天理大学在外研究制度により、4月から1年間メキシコのユカタン州立自治大学社会科学研究所においてユカタン・マヤのエスノヒストリー研究に従事できることとなった。なんとか今年に在外研究を実現したいと考えたのは、1997年が筆者の主たる研究テーマである「ユカタン・カスタ戦争」(19世紀に起こったマヤ系インディオの大反乱)の150周年にあたるからである。これを記念して、夏期には同大学でカスタ戦争国際会議が開催される。

 そもそもこの会議の開催を知ったのは、ちょうど1年まえの今頃のことだ。インターネットの同大学ゴーファーサイトに国際会議の案内と報告応募要項を発見し、さっそくダウンロードして、その日のうちにEメールでエントリーしてしまった。2日後には、エントリー完了というEメールが届いた。実はかなり衝動的な応募だった。その後、2人の研究者仲間の報告を加え、ひとつのセッションを日本人研究者で引き受ける運びとなり、ほっとしている。

 この会議への参加表明は、せっかくなら1997年をメリダで過ごしたいという筆者の願掛けであったのかもしれない。会議の準備段階から、先端の情報を収集・交換できるのだから、筆者にとってまたとないチャンスである。それが実現することとなり、関係者各位に感謝している次第である。

 エスノヒストリーという研究分野は、歴史学に軸足をおきながらも文化人類学の領域にもまたがる学際性をもっている。文献資料をほとんど残さないあるエスニック集団の歴史を調査するさいには、フィールド調査は欠かせないからである。

 先日、京都民俗学談話会という日本民俗学の研究者が集う研究会で報告させていただいた。

 その準備のために聞き取り調査の録音テープを整理していて、「オマエハ、イクラ払ウツモリカ。ワタシハ、ナニモ見テイナイ、ナニモ知ラナイ」と吐き捨てるように言ったマヤの老人の声をあらためて聞いた。カスタ戦争の終了直後に(1908年)、反乱インディオ(ゲリラ)を両親として密林で生まれたその老人は、歴史の生き証人であり、歴史研究者にとっては、喉から手が出るほど話を聞きたい存在である。しかし、堅く口を閉ざすその老人から、無理矢理話を聞き出す権利は、われわれの側にはない。筆者は、何度か足を運んだすえ、調査を断念した。

 村で聞き取り調査をしていると、村役たちが聞き耳を立てる。インフォーマントは、あとで村役に質問内容と回答をチェックされるらしい。密林に住む反乱インディオの末裔(クルソブ)たちは、今でもよそ者にたいする警戒心が強く閉鎖的である。よほど慎重にやらないと、真実を語ってはくれないし、ヘタをすると研究者の身が危険だ。

 じっさい、筆者はある村の祭りにおいて、あやうく牢屋に放り込まれそうになった苦い経験がある。よそ者の村への安易な接近は、クルソブ・マヤの人たちの警戒心をあおる。

 先の研究会での方法を巡る議論において、聞き取り調査は結局「人と人との関係が重要であり、誠意をもってやる、ということ以外の普遍的ルールはない」というような結論となった。

 今後このニューズレターの紙面をお借りして、定期的にメキシコ通信をお届けできればと考えている。

(初谷 譲次)