Experience

「帰国子女」予備軍の生徒達と日本

―日米関係の一断章―(3)

 海外在留邦人の子女たちのために現地に設立された学校には、日本人学校と補習授業校がある。前者は全日制の学校であり、後者はその国の現地校に通う日本人生徒のための学校である。補習授業校は一般に補習校とも呼ばれ、週末に現地校の校舎を借用して授業をおこなっているところが多い。

 アメリカでは外国人生徒の受け入れ態勢が整っている現地校があることや、子供にアメリカ生活を体験させたい、バイリンガルになってほしいという親の願望もあり、邦人子女の大部分が現地校で学んでいる。しかし、子供たちの多くは「帰国子女」として日本に戻ることになるため、わずか週一度とはいえ、日本の学校と似かよった授業を受けることができ、日本の学校生活の一端に触れられる補習校にも通っている。

 私の住むオハイオ州都コロンバスにも、毎週土曜日だけの補習校がある。小・中・高等部を合わせて500名近くの生徒を抱える大規模なコロンバス日本語補習校である。私はオハイオ大学に勤務するかたわら、ここ4年ほど、この補習校の高等部で教えてきた。高等部の授業科目は、国語、数学、そして私の担当する社会(日本史、政治経済)であり、一日6時限の選択制になっている。

 補習校の生徒達は日系企業の駐在員の子女が多い。しかし、彼らの育ってきた文化的・社会的背景は多様である。例えば、私の教える高校生の場合、渡米してきたばかりで初めての外国生活に戸惑っている生徒もいれば、十年近く当地に滞在しているので日本の学校生活をほとんど知らない生徒もいる。両親は日本人だが、アメリカで生まれ育ったため日米両国籍を持つ生徒もいる。異国での生活体験が豊富な者もいる。親の転勤のためではあるが、「かつてブラジルにいたことがある」とか「アメリカ生活は2度目」、「次はイギリスへ」などという話もよく聞く。

 生徒達の日本語能力や学力にも大きな格差がある。高等部の社会科の時間には、国語の教科書では見かけない地名・人名など固有名詞が頻出するので、教科書を読むのが大変だという生徒が多い。「文化」という単語の意味がわからなかった生徒は“culture”といえば納得した。日本語と英語のどちらも中途半端になっている生徒もいる。

 補習校の生徒のほとんどはいずれ帰国し、「帰国子女」として日本の中学や高校、大学で学ぶようになる。そんな彼らに対して、「将来は日米の架け橋」、「日本の学校を変える起爆剤」などと声をかける教育関係者もいる。しかしながら、その言葉の適否はどうあれ、まず貴重なのは、生徒のアメリカ体験は一人ひとり異なり、それぞれの体験を通じて様々な個性が育まれているという点であろう。そして、彼らの多様な個性は、時として既成の日本的価値観と軋轢を起こしつつも、同質性の高い日本社会に住む人々に、異なった考え方や文化の人間を受け入れることの意味を問いかけることにもなる。

 諸外国で様々な体験をしてきた生徒達を「帰国子女」などという妙な言葉で一括りにしてしまうステレオタイプ的発想自体が、彼らに対する誤解や偏見、さらには羨望と失望、差別やいじめを産む。補習校で個性豊かな生徒を教えていると、やはり「帰国子女」という言葉が不要になるよう、日本の社会や教育制度は改革されねばならないと思う。     (おわり)

(古川哲史、米オハイオ大学講師)