Brasil Report

勝利して当惑した日本人

 『伏兵日本のゼブラ、ブラジル代表のハイヒールのかかとをへし折る』、『ブラジル、初戦で日本のボールにつまずく』。これらは今年7月22日サンパウロ州紙の朝刊トップタイトル。アトランタ・オリンピックでサッカーの日本代表がブラジルに勝利した翌日の記事である。

 私とサッカー狂の学生数人を含むブラジル学科の学生22名は、サンパウロ州立大学(UNESP)での文化実習に参加のため、ブラジルに滞在していた。

 その日、私たちは講義の中休みを利用し、パラナ州にある世界で最も雄大な景観の一つであるイグアスーの滝やイタイプー発電所を見学し、ブラジルの計り知れない大自然と、その自然に挑み続けるブラジル人の底力を嫌という程見せつけられてきた。帰りのバスの車中、学生たちの話題はその夜行われる日本対ブラジルのサッカー試合に終始した。しかし、ひねくれ者の少数を除いて、ほとんどの者は、世界で唯一、4度に渡るワールド・カップ優勝経験国でもあり、王様ペレや神様ジーコなどのスーパー・プレイヤーを産出し続け、今回のオリンピックにもワールドカップ経験者を多数送りだし、彼らの年収を合計すると約1億ドルのドリーム・チームのサッカー版であったブラジルの勝利を信じて疑おうとはしなかった。

 夕方、宿泊先のホテルに到着すると前半の試合が始まっていた。予想通りブラジルが攻め続けている。ブラジル選手のシュートが放たれ、外れる度に街のあちこちから「オー」というため息が聞こえ、川口のナイス・セーブにも拍手する余裕も伺えた。前半は0対0のまま終了。街は応援するブラジル人の奏でるサンバのリズムが響いている。

 後半が始まり、その26分、伊東のゴールが決まる。街中では悲鳴のような絶叫が響き、試合が終了した時、街はサンバのリズムもため息も何も聞こえない沈黙が続いた。その沈黙を割くようにホテルの2階で観戦していた学生たちの歓喜の声が、ホテルの前の公園にも響き渡った。しかし、「サッカーをしても死ぬことはないが、応援は命取りになることがある」という教訓を思いだし、彼らの中に入り興奮を鎮めたが、その夜、街の中では犬の遠吠えすら聞こえない、重い沈黙が続いた。

 翌朝、ホテルのカウンターに下りた時、そこにいた紳士が「君達日本人は私達が落胆するのを見、辱める為に来たのですか」と述べる。夕べの学生の騒ぎの事だろうか。私はとっさに「そんな事はありません。私達も信じられない結果に驚いているのです」と答えたものの、その日から日本が失格となったセミ・ファイナルまでは、私も学生達も自重したのは言うまでもない。

 ブラジルは自他共に認めるサッカー王国であり、サッカーは社会的情景の一部となっており、人種・貧富・階級の差異といった社会問題なども熱狂的なサッカーへの集合意識から緩和され、地域や国家の統合意識にまで結び付いている。そこでの数日間は、まるで間違って女子トイレに入ってしまった気弱な男子生徒のような気まずさだ。

 文化実習の最終日、現地市長の夕食会に招かれた。そこでの市長は「私たちブラジルのサッカーは今まで日本サッカーの師であった。その師に対して日本は、言わば恩返しを行ってくれた。でも、これからの日本は、アフリカや他のアジア諸国の列強チームと同様、ブラジル・サッカーの脅威となりつつある。言わば、ライバルとなった」とかなり誇張した賛辞。しかし私には、本当の意味でのライバルとなる為には、伝統的・芸術的なラテン式、近代の精密且つ機械的なヨーロッパ式のサッカーから自立し、日本型サッカーというものを模索し、確立しなくてならないのだよと聞こえた。

                                    (矢持善和)