Lateral Thinking
この夏、学生と一緒に久しぶりで北海道を旅行した。例年より涼しく、秋の収穫を心配する向きがあったが、猛暑の天理からきてみると、天国のようだった。十勝平野を車で走ってみると、まっすぐな道、瓦のない洋風の二階建ての家並み、長々続く丘陵地帯、モロコシやビートの広々とした畑・・・まさにアメリカ中西部の風景である。
北海道とアメリカといえば、思いつくのはクラーク先生の札幌農学校と "Boys be ambitious!" という言葉。農学校の後身である北大に行き、クラーク先生の偉業をつぶさに拝見したが、どうやら蝦夷地といわれた北海道を開拓したアメリカ人の中にはクラーク先生以上の人が何人もいた。
明治政府の黒田清隆が米国で見つけた助っ人は時の農務長官ホーレス・ケプロンとそのブレーンたち。閣僚の椅子を捨てて北海道入りした南北戦争の勇士ケプロンがここに持ち込んだのは、リンゴ、トウモロコシ、ビールの味付けに不可欠なホップ、パン食、牛でなく馬による耕作法、機械化による大規模農法・・・数えていけばきりがない。
もう一人、エドウィン・ダンというカウボーイが応援に駆けつけている。緬羊と大柄の牛、馬を持ち込んだダンは酪農と農耕や競走用の馬の生産を北海道の産業の中心に据えた。それを学問的、精神的に支えたのがウィリアム・クラーク先生である。こうした情況は荒俣宏氏の『開化異国助っ人奮戦記』(小学館ライブラリー)に詳しい。
久しぶりにお会いした作家、倉本聡氏に話をすると「いま北海道を駄目にしているのも、アメリカだよ、大規模農法と農薬で大地が痛んで困っている」。現地の新聞は、競馬ブームの中、「道産子」を育てる日高の牧場が度を超したベンチャービジネス化で危機にあると伝えていた。
われわれの学会をスタートするに当たって、多くの人から「アメリカスってなに?誤植じゃないの」と聞かれた。確かに日本語ではこの言葉はほとんど使われることがなく、まだ市民権を得ているとはいえない。
発起人の中心である英米、イスパニア、ブラジル学科の仲間と話し合ったときも、いろいろ議論がでたが、結局南北アメリカを一言で表す言葉はほかにないと考えて「アメリカス学会」に落ち着いた。
では「アメリカス」という言葉がどんなところで使われ、どんな意味を持つのかを少し考えてみたい。
英語でこの言葉は the Americas という形で使われ、「南北アメリカ大陸とそれに付随する島々およびそれを取り巻く海洋を包含する部分」(ランダムハウス英和辞典)である。ブリタニカ百科事典にも「LANGUAGES OF THE AMERICAS」という項目があり、言語学的にも一括した地域として扱っている。
1492年コロンブスの一行が「新大陸」に到達するまでの南北アメリカの先住民族ネイティブ・アメリカン(中南米のインディオ)は、コーカソイド(白色)、ネグロイド(黒色)と並ぶ人種の三大区分の一つ、モンゴロイド(黄色)に属する人たちだった。
米系紙 INTERNATIONAL HERALD TRIBUNE 紙に毎日「THE AMERICAS 」という面があり、その地域のニュースを取り上げている。一時代前には、たしかTIME誌に「HEMISPHERE」(Western Hemisphere の略)というページがあり、同様のニュースを扱っていた。南北アメリカは世界の他の地域とは違い、歴史的地理的人種的に密接な繋がりがあるという意識が働いているからだろう。 (続く、北詰洋一)