INTRODUCTION ジャック・ロンドンで知る米国のかたち

 米国作家、ジャック・ロンドン(Jack London, 1878-1916)については、1970年代初頭以来の米国での再評価の動きに呼応して、我が国でもここ数年の間に多数の作品の新訳や初訳がなされたり、研究書や研究論文も増えてきている。一般に知られているのは小説『野性の呼び声』(The Call of the Wild,1903)や『白い牙』(White Fang, 1906)、あるいはルポルタージュの『どん底の人びと』(The People of the Abyss, 1903)や『アメリカ放浪記』(The Road, 1907)などであろう。高等学校の最近の英語教科書の中には、平易な文に書き直された短編「焚き火」( メTo Build a Fireモ, 1907)や「命への執着」( メLove of Lifeモ, 1903)が集録されているものがあり、環境教育の一環にもなっている。

 『野性の呼び声』は、カナダ北西部クロンダイク地方のゴールドラッシュに、カリフォルニアから連れ出された飼い犬が、冬には氷点下50度を越える厳寒の地で数々の試練に出会った後、ついに野生化してオオカミの仲間に入っていくという、野性のロマンを描いた物語であり、『白い牙』は逆に、極北の荒野にイヌの血をひいて生まれたオオカミの子が人の手にわたるうち人間に慣れ、ついにカリフォルニアで暮らすようになるという、野性の世界から文明社会を見た一種の社会小説である。『どん底の人びと』は、作者自身がロンドン市の貧民街イーストエンドに潜入し、文明の残滓とも言うべき悲惨な実状を世間に訴えたルポであり、また『アメリカ放浪記』の中でも、当時流行していた鉄道ただ乗りのホーボー(浮浪者)として、作者が米国やカナダを放浪した体験を描きつつ米国社会の矛盾を批判している。

 ジャック・ロンドンはサンフランシスコに生まれ、湾をはさんだ対岸のオークランドで育ったが、家が貧しかったので、さまざまな仕事をして家計を助けた。湾内のカキ養殖場荒らしや、逆にそれを取り締まる密漁巡視隊員になったりしたし、アザラシ漁船の乗組員として太平洋を渡ったこともあり、明治26年(1893)には小笠原諸島を経て横浜に上陸している。1897年から始まったクロンダイク・ゴールドラッシュにも馳せ参じたが、壊血病になって一年足らずで命からがら逃げ帰っている。

 彼は高校を中退したあと、カリフォルニア大學に入学したが一学期で中退しているから、小説を書くための知識や手法のほとんどは独学だった。少年時代から幅広く精力的に読書し、そのうち特にダーウィン、スペンサー、ニーチェ、マルクスなどの思想に傾倒していった。また人気のある雑誌小説を子細に検討して、大衆の好みを分析し、自分の作品に反映させたりしたが、激しい労働の合間を縫って書いた作品はなかなか売れなかった。しかし1898年末になって、クロンダイクで体験した酷寒の自然を舞台に書いた短編が少しずつ売れ始め、ついにマクミラン社から出版された『野性の呼び声』によって、一躍流行作家の仲間入りをした。その後彼が40歳で亡くなるまでに、53冊の書物を書き残している。晩年には、サンフランシスコ北方に広大な農場を購入し、豪邸を建築したり、豪華なスクーナーで妻と南太平洋を旅行したりした。

 この作家は我が国には早くも明治36年(1903)に、片山潜によって「社会主義の小説家」として紹介された。翌年にはロンドン自身が記者として日露戦争の取材のため来日し、開戦後の同年3月26日の東京朝日新聞は彼の文の部分訳を掲載した。その後現在に至るまでに、大正時代の堺利彦訳で人気を博した『野性の呼び声』を始めとして、多くの長編や短編が紹介され、昭和63年(1988)末までに翻訳出版された図書(新聞・雑誌を除く)を数えただけでも92冊ある。しかしそのうちの28冊が『野性の呼び声』、21冊が『白い牙』だから、殊にこれら2作品は日本人の好みに合っているようだ。

 ロンドン作品には、極北の過酷な自然の中で生きる人間や動物を描いた小説から、ニーチェやダーウィンなどの思想を体現させたような小説、社会主義を標榜した作品、SF 小説、ボクシング小説や、ルポルタージュ、自伝的作品、児童文学作品と、あらゆるジャンルがある。出来ばえも玉石混こうであり、中には救いようのない偏見や思い上がりに満ちた部分も散見される。これは、ロンドンが熱心な読書家であったとは言え生活に追われながらの読書であり、流行作家になった時でさえいまだ体系的な知識や思想信条を持つに至らなかったせいであろうし、その後も、出版社からの注文と借金返済に追われて書きまくっていたから、じっくり読書し構想を練る時間がなかったからでもあろう。ロンドンのかつてのイメージが、その生き方や作品から、無学な酔いどれ、浪費家、人種差別主義者、えせ社会主義者とされたのも無理はない。

 そのロンドンが、25年ほど前から再評価されるようになったのはなぜだろうか。それはたぶん、彼の生き方に批判すべき点が多々あるにしても、またその作品の中にさまざまな欠点や誇張があるにしても、貧困との闘いの少年時代と名声を博し颯爽とした青壮年期を疾風怒涛のごとく生きた彼の生き方に、米国人が古き良き時代への郷愁を感じ、また当時の社会情勢や民衆の思いを活写した作品の中に、彼らが襟を正して耳を傾けねばならない警鐘が数多く含まれているからであろう。彼の生きた40年間に、米国は鉄鋼業を中心とする近代工業を発展させ、西部開拓を完成し、海軍力を増強して、近代的な大国の体裁を整えた。その反面、金融恐慌と景気の後退、労働争議、穀物価格の不安定に伴う農民の疲弊、激しい人種差別、移民の制限、そして帝国主義的な対外戦争といったさまざまな問題に直面していた。ところが、現代においても、ヴェトナム戦争で苦しんだこともあったし、いまだに失業者の増大、人種問題、ホームレス、麻薬、治安の悪化といった困難な問題を抱えており、米国人の心底には、ロンドン作品を通じて当時に立ち返り、将来の指針を探ろうとする欲求があるのではなかろうか。私にはまた、現在に至る米国の対日外交の基本理念が、当時の対日政策に発しているように思えてならないし、他にもシオドア・ローズヴェルト大統領が推進した自然保護政策など私たちが学ぶべき事柄はたくさんある。それらの諸課題についても、彼の作品中に何か貴重なメッセージが残されているかもしれない。

 ロンドンと親交のあった作家、アプトン・シンクレア(1878-1968)がその作品の中で、「芸術家は一個の社会的産物であり、彼の心理も芸術作品の心理も、その時代を支配する経済的な力によって決定される」と述べているように、当時の米国の社会・経済情勢を知るためには、ロンドンの幅広い膨大な著作はこの上ない宝庫だと言える。

(山崎新こう、日本ジャック・ロンドン協会事務局長、佛教大学非常勤講師)

参考文献 大石真訳『野性の呼び声』新潮社・新潮文庫、行方昭夫訳『どん底の人びと』岩波書店・岩波文庫、中田幸子著『ジャック・ロンドンとその周辺』北星堂、大浦暁生監修、ジャック・ロンドン研究会編『ジャック・ロンドン』三友社出版