Letter from New York

バイ・・・はゼロリンガル?

 ニューヨーク州のビンガムトン大学で教え始めて2年になる。ニューヨーク・シティーから360kmも離れた、割合静かな町だが、学生の90%以上がシティーから来ていて、寮やアパート暮らしをしている。ニューヨークの州立大学の内では比較的レベルが高いうえに、授業料が安いという理由でこの大学を選んだ学生が多く、アジア系の学生の多いのが特徴のひとつである。とくに、日本語のクラスは韓国系、中国系の学生が大半を占める。

 留学生やアメリカに来てまだ数年という移民の数が、多ければ多いほど深刻になるのは、教室内での言葉の問題である。日本語の授業なのに「この英語の問題の意味がわかりません」などということが、しょっちゅうなのだ。新しい文法を英語で説明している時に、「すいません、漢字で書いてくださいませんか」などといわれることもある。

 ある日、教育学部の教授の依頼で、授業中に語学教育関係のアンケートをとることになった。一番最初の「あなたの第一言語は何ですか」という質問を読んで、クラスがざわついている。一体、この質問のどこが分からないのだろうと思っていると、一人の学生が手をあげて「ふたつ以上ある場合はどうしたらいいのですか」と聞く。よくよく聞いてみると、子供の時に生まれ育った国を離れてアメリカに移住して来ているので、自分の第一言語が何か分からないと言うのだ。「じゃあ、自分が一番楽に読んだり書いたりできる言語を選べばいいじゃない」というと、それでも、首をかしげている。結局、第一言語がある程度のレベルに達する前に英語圏に移住したものの、両親はろくに英語が話せず、かといって第一言語での教育を続けるわけでもないという環境の中で、どっちつかずになってしまっているのだ。

 毎学期、ニューヨークの日本語学校に通っていた日系の学生や、それに対応するレベルの日本語能力のある学生を集めて、セミナー形式で教えているクラスがある。これは「日本の企業に就職したり、日本の大学に行った場合に、言葉の問題で困らないように」という目的で始めたクラスで、教材には日本の政治、経済や教育などに関する日本の高校レベルの読み物を使うようにしている。(実際に高校の社会、国語の教科書を用いることもある)

 このクラスについていけなかった、自称「バイリンガル」学生の一人が、登録を取り消すことを報告しにやって来て、言った。「ええっとね、おうちではお父さんもお母さんも日本語を話すから、聞くほうは問題ないの。だけど、やっぱりね、漢字とか、ちょっと難しい。だって、漫画くらいしか読まないから・・・。だから、このクラスやめといたほうがいいと思うの。先生、ごめんね」。ちなみに、現在21歳の彼は「アメリカと日本を行き行きする仕事」を探している。「International trade とかさあ、日本語と英語のability 使って、やってみたいの」だそうである。

 このような学生に出会うたびに、「バイリンガル」という言葉の定義について考えさせられる。勿論、こちらが舌を巻くほど、完璧に二つ以上の言語を使いこなす人に会ったこともある。だが、それは本当に限られた人たちであり、実際は、自分がバイリンガルだと信じている人の大半が、二つの文化と言語の板挟みになって、なかなか抜け出すことが出来ない「ゼロリンガル」なのではないだろうか。私も、アメリカ生活が8年目に入ろうとしている。「英語が上手」などと、喜んでいられない。    

                                   (佐藤 奈津)