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「アメリカのセクシュアリティ」ウォッチング

                                  石 川 弘 義

 アメリカ、特にそのセクシュアリティのウォッチングをはじめて30年近くなる。

 初めてニューヨークへいったのが1967年。ポルノの文字通りの氾濫におどろいた。翌68年にはスウェーデン映画のI AM CURIOUS-YELLOWが裁判ざたになって新聞に大きく取り上げられていた。税関を通さないので、社会学者や評論家がにぎやかに論陣を張っていた。「性革命」と言うことが盛んにいわれ出したのもこの頃のことだ。

 そうして、70年になると、PRESIDENTIAL COMMISSION ON OBSCENITY AND PORNOGRAPHY が最終レポートを発表しているが、これがリベラルすぎるということでニクソン大統領が激怒したという記事が新聞にでたりした。なお、70年代は社会学者の研究が花ひらいた時期で、ミネソタ大学のIRA REISS 教授の仕事にすごく惹かれて、私はミネアポリスに行ったりしている。76年のことである。

 72年に出たJESSIE BERNARD のTHE FUTURE OF MARRIAGE。これも面白い仕事だった。オネイダ・コミュニティのような実験的コミュニティ/コミューン/スウィンギング/シリーズ婚/高齢結婚/三角関係/グループ婚等々を予想していたが、その3分の2ぐらいが当たっているのはさすがだった。

 74年にはW. H. MASTERS、V. E. JOHNSON のTHE PLEASURE BOND が出版されている。この仕事で特に面白かったのが、スウィンギング(夫婦交換)の実行者に対して行った調査で、コミットメントという概念がここからでてきた。

 さて、80年代にはいると、情況ががらりと変わっていく。84年5月に『タイム』誌が「80年代のセックス」という特集を組んだ。

「革命は終わった」というサブタイトルの示すとおり、若者たちの結婚願望が高まった、婚前性交の実行率が低くなった等々のデータをもとに、あの性革命は80年代にはいってからほぼ完全におわったというのがその趣旨なのであった。これと同じような内容の特番を CBS が同じ頃に放送していたが、両方ともエイズとヘルペスの流行をその原因としてあげていた。

 また60年代から70年代に掛けて大流行した乱交パーティ用の場所を提供するビジネスの壊滅が報じられたのもこの頃である。

 そうして、90年代にはいると、この変化を裏付けるデータがいろいろ出てくる。

 まずR. T. MICHAEL 、J. H. GAGNONN 、E. O LAUMANN 、GINA KOULATA のSEX IN AMERICA 1994 。この本はそのサブタイトルに「決定的な調査」と銘打っていることからもうかがえるように、従来の調査を全否定する。「キンゼイ・リポート」、「ハイト・リポート」、「レッド・ブック・リポート」b「これらはすべて欠陥だらけ、信頼出来ない」と著者達はいう。調査の技術に問題ありというわけなのだ。

 この調査は確かに科学的で、技術論的にはそのレベルは極めて高い。が、面白いのは彼等が何を発見したかである。

 それは、一言で言えば、アメリカ人の性行動はこれまでにいわれてきたほどアクティブでは無いということなのだ。アメリカ人の多くは結婚生活に忠実、パートナーはひとりというひとが男女ともに75パーセント、結婚したひとに出会ってからセックスするまでの期間は一年というひとが約50パーセント・・・という具合なのだ。著者達は「性革命」などというものはなかったと言いたいようである。

 さて、もう一つの調査。それは1994年にSIECUS(アメリカ性教育協会)がおこなった調査で、対象はハイスクールの生徒。

 1)ハイスクール在学中に性交を経験する生徒は約30パーセント。

 2)セックス・パートナーの数は平均2.7人。

 3分の2の子供たちは親と性的な問題について話したことがあるといい、約50パーセントのこともたちは親とセックスについて話し合ってみたいと思っている。

 そうしてこの調査は次のような結論を出すのである。「セクシュアル・デシジョンに関する限り、ハイスクールの生徒たちは自分の将来のセクシュアリティに対して肯定的な態度を取っている」

 ところで、今現在大流行なのがHARRY MAUTERのSEX:AN ORAL HISTORY 1994、MARK BAKERのSEX LIVES A SEXUAL SELFbPORTRAIT OF AMERICA に代表されるインテンシブなケース・スタディだ。アメリカ人のセクシュアリティへの興味はつきることがないようである。                            (成城大学教授)