Research

Whitman における詩と絵画との交錯

 政治ジャーナリストとして『ブルックリン・デイリー・イーグル』紙 (Brooklyn Daily Eagle)の主筆をしていた頃(1846ー1848)の Walt Whitman が音楽会やオペラ劇場によく出入りし、音楽や俳優の演技に縦横の筆を揮ったことはよく知られている。しかし、この頃の彼の美術展覧会の常連者としての側面は、殆どまとまった研究とてなく放置されてきたが、詩人Whitman の誕生の秘密を探る好問題である。彼の本領である詩の分野のなかに絵画はどのように現われて、どんな働きをしているのだろうか。

 彼が『ブルックリン・デイリー・イーグル』紙に書いた目につきやすい美術についての論説を追ってゆくと、次の一節がある。「市民の間に民主的気分を広げるためには、あらゆる人々が版画や彫刻品やアコーデオンの響の中で暮らすことだ。」つまり彼は芸術作品の意義は居住空間を飾ることでなく、市民のなかに広く芸術精神を行きわたらせ、民主主義実現に直結する審美的人間を作りだすことにある、と考えていた。この考えの背後には民主党にかけたヴィジョンがつぎつぎと裏切られていったことから、アメリカの民主主義というものは選挙だとか、政策だとか、政党の名にあるのではなく、アメリカの新しい芸術的な人間の中に存在するという認識の変化があったことはいうまでもない。主筆時代の彼がナショナル・アカデミー・オブ・デザインやアメリカ美術組合などで催された年次展によく通ったのも国民の魂ともいうべき芸術心の救済を目指すアメリカ独自の画家の出現を期待したからだ。

 こうして彼は50年代に入ると政治世界に代わって、絵画世界への傾斜を強めていった。彫刻家 Henry Kirke Brown の工房に集う若い芸術家との議論で当時の有名な彫刻家 Horatio Greenough の芸術論に接したのも、この頃であった。「装飾は偽りの美」とか「裸体のもつ自然美」という彼の考えは、そのままWhitman の『草の葉』(Leaves of Grass, 1855)の序文に反映している。彼が当時好んだ画家の中で注目すべきはアメリカ的主題---主としてインディアンを描いた Alfred Jacob Miller である。

 Jackson大統領の強引なインディアン政策は、多くの白人の心にインディアンは敵だという意識を植えつけたが、白人のかかる認識を一変させたとでもいうべき絵が Miller の『猟師の花嫁』(The Trapper's Bride, 1837)だ。この作品は Miller がイギリス陸軍の退役大尉W. D. Stewart の率いるロッキー山脈探検隊に同行した折、ロッキー山脈奥のインディアン部落の交易所で見た白人猟師とインディアン娘の結婚式の様子を捉えたものだ。インディアンと同じ毛皮服の猟師は右手を伸ばし、頭にはなんの飾りもない花嫁の手をとろうとしている。傍らには彼女の父と友好のしるしのパイプを手にしたインディアンの姿が見られる。この絵に接した詩人はそこに表われているインディアンも仲間なのだという主張に感銘したらしく、『草の葉』初版の冒頭の長詩で、「遥か西部の大自然のなかで私は猟師の結婚式を見た、花嫁はインディアンの娘だった。 . . .」と異種人種インディアンとの一体性に対する情熱を歌った。人物の顔立ちやポーズなど、描写の細部は Miller の絵の細部と正確に符号しているのだ。彼の詩想がニューヨークでの美術館訪問から生まれた一例である。                     

(新井正一郎)

参考文献 Alfred Jacob Miller : Artist on the Oregon Trail, ed. Ron Tylor (Amon Carter Museum : 1982)