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アメリカ研究のあり方

                  猪 木 正 道

  天理大学に南北を包含したアメリカ研究会が発足したことは、まことに喜ばしい。アメリカといえば、アメリカ合衆国だけを考えやすいが、カナダも、中南米諸国もきわめて重要である。さいわい天理大学には、外語時代からの貴重な伝統があり、ラテン・アメリカの研究には、大変な強みを持っている。アメリカ合衆国自体にも、近頃ヒスパニック系の人々が増大してきたことは、周知の通りである。

日本は、開国以来、アメリカ合衆国との関係がもっとも深かったが、この大国に関する研究はいちじるしく手薄であった。1939年7月に、米国が日米通商航海条約の廃棄を通告してきた時、私は当時勤務していた三菱信託銀行の山室宗文会長から命ぜられて、この廃棄が日本経済に及ぼす影響について調査した。そして明治維新以来、日本の輸出入貿易は、三、四割も米国に依存していることを知って驚いた。 わが国内では、反米運動が行われていたが、日本経済は、米国からの輸入なしには、たちまち行き詰まることは、あまりにもはっきりしていた。日本の対米輸出品は、絹、人絹等の繊維や雑貨が中心で、米国経済を左右するほどの力はなかった。これに反して、米国からの輸入品は、屑鉄、工作機械、航空燃料等、日本の経済と国防との死命を制するものが中心となっていた。

こんなことで米国と戦争するなどというのは全く狂気の沙汰だと私は考えた。しかし陸軍は対米戦争へと突進し、海軍もこれに追随した。私はアメリカ合衆国に対する研究が不足していることを痛感したが、何もできなかった。戦争中、私は三菱経済研究所で、アメリカの戦争経済力について若干勉強した。そしてブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルー等の南アメリカ諸国が、重要資源を提供することによって、アメリカ合衆国の戦争経済を支えていることを学んだ。

敗戦後、日本は米軍を中心とする連合国軍に占領され、アメリカ合衆国の圧倒的な力の下に民主化された。研究の自由も、言論の自由も確保された。それにもかかわらず、アメリカ合衆国に関する研究は余り進んだように見えない。地域研究としては、中国、ロシア、および東南アジアの研究はかなりの業績をあげているのに比べて、なぜか北アメリカと南アメリカについては、それほど進歩したように見えない。

天理大学は英米学科にアメリカ研究会を創設されたのであるから、ぜひとも、今日までのわが国の盲点となっている、北アメリカばかりか中米および南米を重ねた地域研究を推進していただきたい。その際特にお願いしたいのは、南北アメリカ大陸の国々は規模が大きいので、それぞれの国内の地域間の差異もいちじるしい点への配慮である。

四十年ほど前、私は二ヶ月間アメリカ合衆国の主要な大学を歴訪した。もっとも印象深いのは、東部特にニューイングランドの気質と、西部、中西部および南部の気質とでは、大差が存することである。私は1930年代、ハリウッド映画を毎週一回、多いときは二回観賞した。米国人に全く違ったタイプの人がいることを知ったのは、その収穫だった。エドワード・ロビンソンとジェイムズ・ギャグニーが主演するギャング映画を私はもっとも好んだ。ニューイングランドの大学教授のお宅へ、夕食に招かれた時、一家で食前のお祈りをして、酒抜きでの質素な御馳走をいただく光景に接し、ピュリタン精神がまだ健在なことを確認した。 対米戦争を説いた軍人のなかには、「アメリカの婦人は血を見れば失神する」という点だけを誇張して、アメリカ合衆国を侮った人々も少なくなかった。しかし米国は多様である。ピュリタンの伝統もあれば、拝金と暴力の亡者もいる。この多様性を忘れては、日米関係を正しく処理することはできない。 ラテン・アメリカについて、私は全く無知であるが、あれだけの資源に恵まれながら、経済的にも正常な成長をとげず、政治的にも不安定なところが多いのはなぜか、という疑問を解いていただきたい。最後になったが、カナダはいろいろの意味で、日本とは補完関係にある。もっとカナダへの関心を深めるべきではなかろうか。

(財団法人 平和・安全保障研究所会長)