「日韓学生通信使」 対馬編
対馬編
第1日目
天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」に参加する天理大学一行12人(学生10人、引率教員2人)は20日午前9時33分、天理駅発京都行の近鉄急行で「通信使」の旅の第一歩を踏み出した。
天理は朝から強い雨。全員午前9時10分の集合時間に遅れることなく、元気な顔をそろえた。天理大学の鈴木光事務局長、学長室の宮田裕生室員、通信使の旅を事務面で支える留学生支援課の橋本眞理子課員が駅前で「学生通信使」一行を見送った。
鈴木局長は「日韓関係がより親密になるよう、通信使の先人が残した足跡をたどることで、いろいろなことが見えてくるでしょう。その経験を今後の人生に生かすために、真剣に勉強していただきたい」と激励の言葉を送った。その後、全員で三殿遥拝して、「学生通信使」の旅の無事をお願いした。
一行は、京都駅10時52分発の博多行き「のぞみ17号」に乗り込んだ。車内では「(博多に近い)対馬がなぜ長崎県なのかなぁ」などと話し合った。午前11時には早くも「お腹がすいた」の声が上がり、京都駅で積み込んだ弁当が配布され、学生向けのボリューム弁当を完食。「車内販売もあるよね」と旺盛な食欲をみせていた。
同じ車内には広島に修学旅行に向かう高校生が乗っていた。高校生は訪問地・広島に関する資料を読んだり、レポートを書いたり。一方、天理大学の一行は・・・。「まだ先は長いし」と車内ではリラックスに努めた。
毎日新聞旅行の添乗員、岡田健一さんに入った連絡によると、韓国・江原大学校の学生20人と引率者3人の一行も同日午前11時に江原道・春川市の学校を専用バスで出発。最初の目的地・釜山に向かった。

天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」の天理大学一行12人(学生10人、引率者2人)は20日午後3時半、全日空機で「対馬やまねこ空港」に到着した。天理を出るときは雨模様だったが、新幹線で到着した福岡地方は晴れ。雨上がりの蒸し暑い気候の中、福岡空港午後2時50分発の全日空4937便に搭乗。40分ほどの飛行時間で搭乗機は玄界灘を飛び越え、上空から見ると切り立った海岸線が目立つ、対馬中部の飛行場にタッチダウン。
2階建てターミナルビル1棟の小さな空港だが、飛行機を降りるボーディングブリッジには、長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵の、朝鮮通信使を描いた絵巻の一部を撮影した写真が飾られており、一行は「通信使の島」を実感した。
到着した対馬の気候は気温25度、曇り。雨上がりの真夏の山の緑は色を増して輝いていた。
学生たちは「(空港に)通信使の絵などがあったり、『ようこそ』と韓国語で書いてあるのを見ると、韓国を意識しているんだなぁと感じた」(田中悠君1回生)、「やまねこって、実際ほかの猫と、どんなとこが違うんかなぁー。それに空気がおいしい」(達城友香さん1回生)と、対馬の第一印象を話していた。
一行は午後5時45分、初日の宿泊所・つしまホテルプラザに入った。

天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」の天理大学一行の旅初日(8月20日)の夕食メニューはお刺身、サザエのつぼ焼き、焼き肉、酢の物、肉じゃが、イカ焼き・・・。どこからどこまでが一人前なのか分からないほどの豪華版。最初は「(昼の弁当は午前11時、新幹線の中で食べてしまったので)お腹がすいた~~」と言って食堂に集まったメンバーは食卓を見て「幸せ!!!」。日が暮れ、暗さを増していく対馬・比田勝港を臨む食堂でゆっくりと対馬の山海の美味を味わった。
食事の途中で、メンバーは改めて自己紹介。明日からの江原大学校の交流に備え、配布された名札に「ハングルで名前や自己アピールを書き込むように」と指示を受けると「どんな風に書こうかな」と知恵を絞っていた。どんな名札になったかは、次回の「日韓学生通信使報」でお知らせいたしましょう。
第2日目

◎日韓学生合流
天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」の日韓双方の学生は21日、対馬北部の比田勝港で合流し、本格的な「学生通信使」の旅を始めた。
江原大学校一行23人(学生20人、引率者3人)は同日午前9時、釜山港出発の高速船に乗船し、約1時間10分後に比田勝港に到着。入国審査、税関を通過してターミナル外で前日から到着を待っていた天理大学一行の出迎えを受けた。
この日の対馬地方は前線の影響で強い雨に見舞われ、一行は到着行事などは省略して、すぐにバスで、対馬北端の韓国展望所に向かった。釜山から対馬まで直線距離で49・5キロ。天候条件が良ければ釜山の街並みも見えるという場所だが、雨にさえぎられて海方向の視界はほぼゼロ。しかし展望所に展示された対馬と韓国の位置を示す地図をみながら韓国の方向に望遠鏡を向ける韓国学生もいた。
一行は室町時代に「通信使」として何度も対馬を訪れ、「最初の通信使」と呼ばれる李朝の外交官、李藝の記念碑がある円通寺、朝鮮半島の考古学出土品と極めてよく似た、対馬の出土品などを集めた「峰町歴史民俗資料館」、明治33年、日本軍がロシアの攻撃に備えて日本海に派遣した軍艦の通り道として開削した運河の上にかかる「万関橋」などの歴史的名所を見て回った。さらに、今回の対馬訪問の最大の目的地の1つである「長崎県立対馬歴史民俗資料館」を訪問した。江戸時代、朝鮮半島との外交を担当した対馬藩・宗家が所蔵した古文書「宗家文書」約8万点を所蔵する資料館は、朝鮮通信使研究の中心地ともいえる場所。ここでは、宗家文書の整理や研究を続ける、同資料館の山口華代学芸員が、日本と朝鮮半島の交流の歴史、宗家文書の価値、日本と朝鮮半島の外交に尽くした対馬藩の儒学者、雨森芳洲の業績を紹介。学生たちに「これからも勉強をつづけ、より良い日韓関係のために役立てるよう頑張ってください」と学生たちを激励した。

対馬を訪問中の天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」の一行は21日夜、対馬南部の厳原で「学生オリエンテーション」を開催し、プログラム に参加した学生たちが自己紹介やプログラムに参加した動機と、今回の経験を今後、どのように生かすかについて、一人ずつ意見表明した。
第3日目


第4日目


「日韓学生通信使」の一行が旅の最中、必ず着けていたのが自分の名前や愛称をハングルやカタカナで書いた名札だった。対馬・比田勝港で出会った、初対面の時は、相手の着けた名札を見ながら、互いに声をかけていた、天理大学と江原大学校の学生たちだった。しかし23日、天理に到着するころには、名札を見ずに相手の名前を呼び合ったり、何か気になる景色などに気が付くと、遠くからでも名前を呼び合って一緒に、景色を見つめたりするなど、学生たちは古くからの友人のように打ち解けていた。
第1日目の報告で「どのような名札になったか、次回報告します」とお伝えしましたが、旅の日々が楽しすぎて、ご報告が遅れました。ごめんなさい。(「日韓学生通信使報」筆者より)


第5日目

第6日目

飛鳥ニューツーリズム協議会(明日香村商工会館)のお世話取りにより、天理大学と韓国江原大学校の学生が2名から3名で1家庭へホームスティを行った。12家庭に受入をしていただき、各家庭で特色あるおもてなし、食事作りや史跡見学、農業体験、まち散策などの文化体験した。
今回の事業で、ホームスティのプログラムは市民生活の体験や同世代間の交流の機会を持つ事が目的であった。
同世代だけでなく多世代に渡っての交流となり、本当の家族のように心温まる一夜となった。
離村式では、ホームスティの受入家族とお世話になった学生が飛鳥駅ホームまでの階段を一列に並んで、握手のお別れを惜しんだ。
長い旅を共に過ごした学生たち、江原大学校は日光へ、天理大学生は帰路につき、12月の韓国派遣事業までのお別れとなった。
第7日目は江原大学校一行は日光にて研修を行う。

第8日目

天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」の江原大学校一行(23人)は26日、朝鮮通信使の最終到着地だった栃木県日光市で東照宮などを見学した後、同夜、今回のプログラム最後の訪問地となる千葉県銚子市に専用バスで到着した。日光から銚子まではバスで約4時間の長旅だった。長期の旅行で多少、疲れた表情をみせる学生もいたが、全員無事に銚子市犬吠崎の海沿いのホテルに入った。
第9日目

