天理大学

天理大学の国際交流について

「日韓学生通信使」 韓国編 

韓国編

第1日目(12月16日)

 ◎第1日(天理~釜山)
  江戸時代、12回にわたって朝鮮半島から日本を訪問し、両国の平和と親善の基礎を築いた「朝鮮通信使」の足跡をたどり、日韓友好の重要性を発見する天理大学・江原大学校「日韓学生通信使」の韓国編が16日、スタートした。日本外務省の学生交流事業「JENESYS2.0」の窓口となる日韓文化交流基金(東京都港区)の支援を受け、今回は天理大学の学生20人と引率者3人の計23人が「学生通信使」として釜山~大邱~安東~春川~ソウルと、通信使が日本に渡ったのとは逆のルートを旅する。春川では8月に「日韓学生通信使」日本編に参加した韓国・江原大学校を訪問。天理大学の学生は、8月の日本編で対馬~博多~関西の旅を一緒にした江原大学校の学生たちと再会する。
 
 ◇「ワーッ。めっちゃ楽しみ」◇
 
 日韓学生通信使の天理大学一行は午前8時、小雨の天理駅前に集合。「緊張して寝られへんかった」と眠そうな表情の学生もいたが、全員が集まると「江原大学のみんなと、また会うのがうれしい」「(春川名物の鶏料理)タッカルビが楽しみ」と旅への期待の声が高まった。
 
 出発式では天理大学の鈴木光事務局長が「日韓国交正常化50周年の節目に朝鮮通信使の足跡をたどることは大変重要。この体験を皆さんが日韓友好に生かすことで、機会を提供してくださった日韓文化交流基金への恩返しとなります」と学生たちに、この旅の意義を説明した。一行は、親神様、教祖、御霊様を遥拝して旅の成功をお願いした後、大型バスで関西国際空港に向かい、午前11時25分発の大韓航空732便で、最初の訪問地・釜山に到着した。
 
天理駅前での出発式
◎第1日午後(釜山市内)
◎勉強、勉強、また勉強
 
  釜山で最初に向かったのは釜山博物館。日本関係の資料展示を担当する柳順女(ユ・スンニョ)・専門経歴官が忙しい勤務の合間を縫って、朝鮮通信使関連の展示品解説をしてくださった。次に訪れたのは朝鮮通信使歴史館。同歴史館に隣接する朝鮮通信使が釜山から対馬に向けて海路旅立った船着き場を再現した「永嘉台」の前で記念撮影し、私たちの「学生通信使」の旅も本格的に“出航”した。
 
 関西空港から釜山空港までの機内食はハムやチーズを挟んだ小さなパン1つだけ。対馬藩の出先機関「倭館」があった釜山中心地・龍頭山公園についたときは、なんと空から白い雪が…。「お腹がすいた~」「寒い~」という声が一行の間から出始めたころ、港町・釜山らしい「海鮮鍋」とチヂミ(韓国風お好み焼き)の夕食会場に到着。韓国第一食の温かく、ちょっぴり辛い鍋の印象は「最高」だった。
 
 おいしい食事に満足した一行は再び「勉強」。釜山駅構内の会議室で、一行を引率した天理大学国際学部の長森美信(みつのぶ)准教授が「朝鮮王朝と通信使」をテーマに特別講義をして、室町時代に始まった「朝鮮通信使」の歴史、果たした役割を詳しく説明した。
 
長森准教授が「朝鮮通信使の派遣目的は二度と戦争をしようという気を起させないようにすることでした。その方法は“文化の力”で」と語り掛けると学生たちは深くうなづきながら、講義に聞き入っていた。
 
 
 
「永嘉台」前で記念写真
「いただきま~す」韓国第1食は海鮮鍋

第2日目(12月17日)

◇寒~~い◇
第2日目。釜山のホテルを出た学生たちが最初に口にしたのは「寒~~い」。

温暖な韓国南部も今年初めての本格的な寒波に襲われ、釜山のこの日の最低気温は零度。この日最初の訪問地は、文禄慶長の役(韓国では壬辰倭乱)で断絶した「朝鮮通信使」の復活のために活躍した僧侶、松雲大師(韓国では四溟堂)縁の表忠寺(慶尚南道密陽市)だった。山に囲まれた静かな寺の佇まいと、真っ青に晴れ渡った空は、たとえようもなく美しかったが、最低気温はマイナス4度まで下がった。風が吹くと、いつもは元気な学生たちの表情がこわばった。

そんな学生たちの元気を取り戻したのは昼食の参鶏湯(サムゲタン)。鶏肉の中にコメのほか、朝鮮人参、ナツメ、クリなど体に良いものを詰め込んで煮込んだ料理で、小型の土鍋ごと直火でグツグツ煮込んだ姿で目の前に運ばれると、学生たちの表情が和らぎ、肉やスープを口に運ぶと、元気な声が戻った。

さらに一行は、韓国三大楼閣の1つに数えられる嶺南楼(密陽市)を見学した。さらに、豊臣秀吉の朝鮮半島への侵攻を「無謀」と非難して、朝鮮側に味方した日本の武将・沙也可(さやか、韓国名・金忠善<キム・チュンソン>)の位牌を祀る鹿洞書院(大邱広域市達城群)と、日韓友好促進のため2012年に、鹿洞書院の隣に建てられた「達城韓日友好館」(2012年オープン)を訪問した。
「寒~い」。表情もこわばる寒波の中で表忠寺を見学
◇崔範洵教授の講義◇
一行は慶尚南道から北上して、韓国南部の大都市・大邱(テグ)に到着。夕食は、様々な香辛料に漬け込んだ豚のカルビ肉を炭火でじっくりと焼き上げる「豚カルビ」。肉を焼くと部屋の中には香草やしょうゆの香ばしい煙が立ち上った。焼きあがった肉を口に入れると、甘めのたれと肉汁がいっぱいに広がり、思わず「おいしい」の声。昼の参鶏湯(サムゲタン)で「お腹いっぱい」と言っていた学生たちだったが、肉は瞬く間になくなった。

おいしい食事の後は、もちろん「お勉強タ~イム」。大邱の南隣・慶尚北道慶山市にある名門私立校・嶺南大学校日語日文学科の崔範洵(チェ・ボムスン)教授を迎え「近代以来の大邱‐慶北と日本」をテーマに講義を受けた。

崔教授は1910年の日韓併合前に進められた(ソウルと釜山を結ぶ)京釜鉄道の敷設工事を契機に大邱地域に日本人が入り、朝鮮半島南部地域の商業・経済の拠点となっていった経緯などを説明した。また日本の植民統治時代に、大邱で朝鮮人孤児救済にあたった加島敏郎や、大邱・慶尚北道の貧しい人々の実態を調査した藤井忠治郎の活動を紹介。「近代期の大邱・慶尚北道での日本人の活動を発掘することで、韓日交流の活発化につなげていきたい」と、今後の研究目標を披露した。 最後に崔教授は「日韓学生通信使という交流事業の発想は素晴らしい。日本のどの大学よりも長い韓国語教育の歴史を持つ天理大学が、その事業を推進することに大きな意味がある」と語り、学生通信使一行の訪韓を歓迎した。
湯気が立ち上る参鶏湯を食べて寒さにこわばった表情もやわらかに
講義をしていただいた崔範洵教授を囲んで

第3日目(12月18日)

一行は大邱からさらに北上。この日の目的地は豊臣秀吉が起こした「文禄慶長の役(壬辰倭乱)」の時代に活躍した李朝の宰相(国王の補佐役)として知られる、柳成龍(リュ・ソンリョン、1542~1607年)を輩出し、2010年に世界文化遺産に登録された安東河回村(アンドンハフェマウル)。李朝時代の暮らしがそのまま残る場所だ。

住民以外は村の近くで車を降りて、シャトルバスで村の入り口まで行くことになっている。昔のままの家並を守るための制度だ。この日は平日。時々しか車が通らない村の中で聞こえて来るのは「学生通信使」一行と、ぽつぽつと姿を見せる韓国の観光客の声だけ。一行は当時の庶民の楽しみだった「仮面劇」に使う韓国伝統のお面を売っている店の前を通りかかると「カワイイ」「誰かに似てへん」と声をあげて大喜び。村の中心にある神木のケヤキの大木を囲う柵に願いを書いた紙が結びつけてあるのを見つけると、一行はさっそく挑戦。「韓国の神木にお願いするのだから、やはり韓国語でなくては…」と、これまで学んできた語学力を発揮して、全員ハングルで「成績が上がりますように」「健康で暮らせますように」「世界平和」などと、それぞれの願い事を書いた紙を結びつけて成就を願った。
河回村で仮面を見つけ「カワイイ」と声を上げる一行
この日の昼食は韓国全土に広がった安東の郷土料理「アンドンチムタク」。アンドンは「安東」、チムは「煮る」、「タク」は「鶏」の意味で、鶏肉と野菜をしょうゆ味にちょっぴり唐辛子を加えた調味料で煮た料理が大皿に乗って出てきた。しょうゆベースの日本人の口にも合う味を楽しんだ。

そしてまた一行は、朝鮮時代の風景の中へ。河回村から約4キロ。柳成龍の学問と人格を慕う学者たちが共同で建てた「屏山書院」を訪問した。1868年、全国に書院撤廃令が出た時も、その対象から除外された権威ある儒学の教育機関として知られる。「学生通信使」一行は、書院の前に流れる洛東江と、その向こう側に広がる山がまるで屏風のように見える絶景を朝鮮時代の儒学者の気分で眺めた。
朝鮮時代の儒学者の気分で「屏山書院」からの絶景を楽しむ「学生通信使」
再会を果たした天理大学、江原大学校の学生が春川市内散策を楽しんだ

第4日目(12月19日)

◎文化体験、そして江原大学校の仲間たちとの別れ

この日、天理大学「学生通信使」の一行は、江原大学校「学生通信使」のメンバー19人と一緒に、韓国舞踊鑑賞と白磁博物館での陶磁器作成で、韓国伝統文化を体験した。

午前10時から、江原大学校舞踊学科練習室で、同学科の韓京子(ハン・ギョンジャ)教授から、韓国舞踊に関する講義を受けた。韓国舞踊は宮中舞踊と一般大衆が楽しんだ民俗舞踊の2系統に分かれ、さらに、中国の古代舞踊や日本から入ってきたモダンダンスの影響などを受けて発展してきた。その概要を、映像資料を交えて詳しく語る韓教授の講義に、一行はうなずきながら聞き入っていた。

講義の後は「眠くなる話はここまで。これからは韓国舞踊を楽しんでください」というユーモアを交えた韓教授の進行で、韓教授のお弟子さんらが、伝統舞踊のサルプリ、僧舞、剣舞、閑良舞などを披露。間近で舞踊を鑑賞した一行は大きな拍手を送った。舞踊鑑賞の後、一行は剣舞に使った舞踊用の短剣の使い方を習ったり、女子学生はチマチョゴリ、男子学生はパジチョゴリの伝統衣装を着て記念撮影をしたりするなど、韓国伝統の粋を体験した。
韓国舞踊に伝わる仮面を手にポーズ
美しい伝統舞踊を披露してくれた舞踊家の方々と記念撮影
次に一行が向かったのは、春川からさらに北へバスで約1時間の江原道楊口郡方山面にある「楊口白磁博物館」。朝晩の気温はマイナス10度以下に下がる厳寒地域にあり、川や道端の水たまりは固く凍り付いていた。だが、この日は日差しがあり、気温はプラス3~4度まで上がった。厚いコートを着ていれば楽に過ごせる気候だった。

朝鮮時代、楊口は王室に献上された朝鮮白磁を作っていた官窯「分院」(京畿道広州)に白磁の原料を提供してきた。その歴史は600年以上に及ぶ。

最初は展示室で白磁の原料となる「楊口白土」や、その原料で作られた朝鮮白磁の名品を見学した。さらに、制作体験室では同博物館の担当者から手ほどきを受けながら、約1時間かけて思い思いの器を制作した。

白土を長く伸ばして積み上げる技法や、小さくちぎって積み上げていく方法を使い「コーヒーカップを作ります」「サラダボウル」を作りますと宣言して白土をこね始めた。しかし、時間が経つにつれ「お皿に変更」「穴が開いたからキャンディ入れにしよう」と方向転換する学生も…。最後は鄭斗燮(チョン・ドゥソプ)館長の見送りを受けて、同博物館を後にした。一行の作品は博物館の担当者が釉をかけ、2度の焼成をするなどの仕上げ作業をして、1カ月後に完成し、天理大学に送ってくる予定だ。

今年の8月に初めて長崎県対馬で出会った天理大学と江原大学校の「学生通信使」一行は、今回の韓国編が始まるまで互いに連絡を取り合い、友情を深めていた。白磁博物館から江原大学校に戻った後、冬の日がとっぷりと暮れたキャンパス内で互いに抱き合って別れを惜しみ、再会を約束していた。

天理大学の一行はその後、「日韓学生通信使」最後の訪問地で、朝鮮通信使の出発地だった韓国の首都ソウルに到着した。
出来上がった作品の底に名前を書いて完成。1カ月後の完成が楽しみ

第5日目(12月20日)

◎「朝鮮通信使」出発の地で


「日韓学生通信使」の天理大学一行は、韓国訪問最終日のこの日、室町時代の朝鮮通信使が出発の際、国王に挨拶をして出発していった李朝の正殿・景福宮と、江戸時代最初の朝鮮通信使(1607年)が出発点としたソウル南大門近くに建つ「朝鮮通信使の道」の石碑を訪問した。

景福宮は日曜日で、韓国の小中学生やソウル市民、そして中国や東南アジア諸国からの観光客でにぎわっていた。一行はまず、李朝の遺物を所蔵・展示する「古宮博物館」を訪れた。この日は歴代王の肖像画を集めた特別展の開催中で、朝鮮戦争(1950~53年)の戦火で半分焼失した肖像画の現物もそのまま展示されていた。また景福宮の中庭で行われる衛兵交代式を見学した。

江戸時代の朝鮮通信使が国王の国書を持ってソウルの街を出発した場所を示す石碑は、ソウルの街の正門・南大門脇の歩道に2007年に建てられた。人の腰の高さほどの石に「朝鮮通信使の道」という碑銘と、その下に「ここは1607年、朝鮮通信使が国書を持って出発した道。通信使の日本往来400周年を称え、善隣友好精神の印として、ここに道標を建てる」との説明文が刻まれていた。天理大学の一行はこの石碑の前で記念写真を撮影し、日韓友好の礎となった朝鮮通信使の精神を受け継ぐ「日韓学生通信使」の旅の締めくくりとした。
室町時代の朝鮮通信使が出発時、国王に挨拶した「景福宮」で記念撮影
その後、一行は、ソウル市内で「ユニクロ」を訪問して、日本企業がどのように受け入れられているかを直接体験した後、午後4時55分ソウル金浦空港発の大韓航空機で韓国を離れ、同夜、関西国際空港に到着。5日間の「日韓学生通信使・韓国編」の旅を終えた。
ソウル南大門近くに建つ「朝鮮通信使の道」の石碑の前に集まった「学生通信使」一行
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