「カオラック津波体験記」

A.M.さん(タイ学科 2001年卒業:タイ在住)

 2005年12月26日プーケット島の少し北の方カオラック(パンガー県)という町で大津波の被害に遭いました。26日の朝7時頃バンコクからカオラックに到着。12〜13時間のバスでの長旅だったため、その日はダイビングの予定は入れていませんでした。バンガローにチェックインした後目覚ましをセットしベッドに横になりました。

 それから、何分、何時間経ったのか定かではありませんが、コトッという小さな物音でうっすら目を開けた数秒後、バンガロー諸共波に呑み込まれました。波に起こされたような感覚でした。後からニュースを見たら、カオラックでは津波が高さ10m程あったそうです。バンガローを屋根の上から呑み込み、窓からドアからあらゆる穴からゴーと入ってくる水は本当に信じられない状況でした。その後、バンガローは全壊し、私とバンガローの瓦礫は一緒に流されました。とにかく呼吸をするため必死に水面に這い上がっては波に呑み込まれて、といった状態を、繰り返していました。そんな時に一人の日本人の男の子と水面で会いました。私を日本人だとわかったようで、日本語で、自分がつかまっていたドラム缶のようなものを指し、「こっちおいでー、これにつかまり!」と言ってくれました。私は必死で彼の所へ行きました。ドラム缶を掴んだと同時に第二波らしき大きな波が私の背後からかぶさってきました。その波で彼とははぐれてしまい、全く行方がわからなくなってしまいました。亡くなってしまったかも・・・と思い本当に辛かったです(けれども2日後くらいに再会しお互いの無事を確認して涙しました)。

 それから、どこか避難できる場所は?と探しました。近くになんとか形の残ったバンガローらしきものを見つけ、自信はなかったけどとりあえずそこまでと泳ぐというより自然と強い水の流れで近くまで連れて行かれました。その時すでに左腕にかなり深い傷を負っていましたが、とにかく「助かりたい」一心で必死でした。そのバンガロー近くに着いたころには波はおさまっていましたがとにかく這い上がることもできない、陸も遠いという感じで絶望的でした。

 その後、後ろから流れて来た木と自分が捕まっている木に首を挟まれて、もがけばもがくほど首が絞まり、この時初めて「もう死ぬ」と思いました。半分諦めかけ、体力もなくなり、意識がもうろうとなり、口から泡らしきものを吹き出したころでした。いろんな情景が目の前、頭の中に浮かび、「絶対死にたくない!何とか生きたい!」と思い、必死に助けを3ヶ国語で叫びましたが、助けが来てくれるような状況でないのは一目瞭然でした。そんな頃、ちょうど、水が段々引いて来てやっと足がつくようになりました。足と手と背中で私を挟んでいた木を思いっきり押しました。すると何とか抜け出せるほどのスペースができ、後は水の引いた所を探して、陸まで何回かコケながら辿り着きました。

 後は無事だったタイ人の人達の親切でパンガー病院まで運ばれました。パンガー病院で2日間入院して傷の治療を受けました。パンガー病院に入院して2日目には、友人の知らせで心配して、日本からはるばる迎えに来てくれた父と再開できました。でも、傷が相当ひどかったので、バンコクの病院に移ってさらに2日入院しました。

 バンコクで治療を受けた後、父と共になんとか日本へ帰国することができました。被災時にお世話になったたくさんの方々、特に、傷を負った腕にベルトを巻いてくれた白人の男性、病院へ運んでくれたカオラックの地元の方々、パンガー病院とバムルンラート病院のお医者さんや看護婦さん、ボランティアでいろいろとお世話をしてくれたタイ人の方々、心配して実家に電話をかけてくれた友達、パンガー病院に駆けつけてくれたNAOMIさん、Sちゃん、そして最短時間で駆けつけてくれた父、日本で心配してくれていた母、本当に本当に感謝しています。皆さんのおかげで今の私があるのだと感じています。この助かった命をこれからも大事にしていきたいと思っています。けがが治ったらまたバンコクへ戻り、仕事をし、わたしなりにタイへの恩返しをしていきたいと思っています。


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