公開基調講演 13:30~15:00

テーマ:「遊びと祈り」

講 師:山折 哲雄 (宗教学者・前国際日本文化研究センター所長)
概 要:

 良寛が子どもたちと手まりをつく。そのなかで子どもたちの心が穏やかになっていくその営みにこそ、遊びと祈り、そして子どもの心の癒しがあると考える。当日はそうした営みについて、大震災で親を亡くした子どもの心の傷にも触れながら話す予定である。

「てまりうたー遊びと祈りー」
春になって
雪が消えて
良寛さんが小屋から出てきた
村の道を歩いていると子どもたちが寄ってくる
鼻たれ坊主 両眼をつりあげた小坊主
泥だらけ、垢だらけの真黒な奴
怒った顔、沈んだ顔、悲しい顔、情けない顔、顔、顔・・・
狂った顔、傷ついた顔、顔、顔・・・
捨て子同然の赤子
両親がいても家にいない子
両親がそろっていても喧嘩ばかり
片親だけの子
子守にだされた捨て児
親はさきに死ぬ
子どもはみんな捨て児
いろんなガキたちに囲まれて
良寛さんは歌をうたう
てまりをつく
ついてついて歌う
ガキたちもついてついて歌う
  霞たつ永き春日を子どもらと
   手まりつきつつ この日暮らしつ
三〇分 一時間 二時間 三時間
四時間 五時間・・・
日が暮れていた
悪童連やガキ連の顔が普通の顔になっていた
   静かな落ちついた顔になっていた
良寛さんがみんなを連れて
海岸に行く
ヨコ一列に並ぶ
水平線のかなたに夕日が沈んでいく
どこからともなく歌声がきこえてきた
 親のない子は夕日を拝む
   親は夕日のまんなかに

公開シンポジウム 15:15~17:45

テーマ:「発達障害と遊戯療法」

シンポジスト

河合 俊雄 (京都大学こころの未来研究センター)
木部 則雄 (白百合女子大学)
滝川 一廣 (学習院大学)

指定討論者

山中 康裕 (京都ヘルメス研究所・京都大学名誉教授)
伊藤 良子 (学校法人 神戸女学院理事)

司会
千原 雅代 (天理大学)
概 要:

河合俊雄
「発達障害の見立てと遊戯療法における転機」

 発達障害についてスペクトラムという考え方が浸透するに伴って、近年必ずしも発達障害とは見立てられない子どもにも発達障害という診断・判定がつけられていることが多く、その弊害も認められる。表面の特徴ではなくて、子どもの遊びにおいて、何が発達障害という見立てのポイントになるのかを、多くの例からまず考えたい。また発達障害と見立てられなくても、そこにある種の発達の非定型化や弱さが認められることも指摘したい。
 主体の存在を前提にでき、従ってある程度のプロセスの連続性を期待できる通常の遊戯療法とは異なって、主体の発生が大切になってくる発達障害の遊戯療法においては、いわば非連続的に突然に発生してくる主体にセラピストがどう立ち会って、それを逃さないかが大切になってくる。それはreflectiveなセラピーというよりも、emergentなセラピーと呼ぶことができよう。そのような遊戯療法における転機には、セラピストのコミット、自発性、創造性が大切になることを考えたい。

木部則雄
「自閉症スペクトラム障害のプレイ・テクニック」

 自閉症スペクトラム障害の精神分析的アプローチに関して、主に英国のクライン派のセラピストはその経験を積み上げ、英知を集積している。クラインは自閉症の概念が確立前に、現在では自閉症と診断できる幼児の精神分析の経験から、象徴形成に関する考察を行った。この象徴化は精神分析のみならず、心理学でも重要なテーマとなった。その後、タスティンに代表される現代のこどもの心理療法家はクラインの理論、技法の修正などを行った。
 自閉症スペクトラム障害の精神分析アプローチは、精神分析の根幹である「転移」が主なテーマでなく、すでにセラピストと一体化した自他未分化な空想からの「分離」がテーマとなる。これは自閉症スペクトラム障害のこどもたちが心理的誕生という母親との分離を経験していないことに起因すると考えられる。こうした観点から、自験例を論じたい。

滝川一廣
「遊びと発達」

 1970年代、ラターの自症学説(認知障害説)が学界を席巻するとともに、自閉症は脳障害なのだから遊戯療法は無意味ないし無効、極論では「百害あって一利なし」といった説が広められたことがあった。これが当時の専門家たちの見解であったけれども、しかし、どうだろう。わが子は脳障害だから遊んでやっても無駄だと考える親がどこにいるだろうか。子どもにとって遊びほど大事な体験はない。わたしは、そうした専門家たちの見解は肯えず、この子どもたちの遊戯療法をずっと考えてきた。子どもは遊びをとおして発達してゆく。そうとすれば発達におくれをもつこの子どもたちにとって、遊びはきわめてたいせつな意味をもつはずである。
 自閉症スペクトラムとはどのような発達のおくれで、なぜそのようなおくれが生じるのか。さまざまな子どもの遊びが、なぜ、どのようにして発達を支えるのか。それを踏まえて、この子どもたちとの遊びについて考えてみたい。