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 【天理大学百年史コラム(23)】

語劇そして、学科劇

毎年秋におこなわれる天理大学祭において、学科ごとの発表があり、その中で外国語を学ぶ学科では、外国語劇を披露します。
前回のコラム「外国語劇」では、天理外国語学校の初期の語劇から戦時中の中断までの経過を紹介しました。今回は戦後の復活から現在までの足どりをたどります。

語劇の復活

1936(昭和11)年から終戦に至るまで、語劇が開催された記録は見当たらず、戦後に語劇が開催されたとみられる最初の記録は、天理語学専門学校(1944年に外国語学校から改称)ではなく、女子語学専門学校(1944年に女子専門学校から改称)による語劇でした。

1946(昭和21)年1月、天理教の教祖六十年祭がおこなわれ、その催物として、女子語学専門学校が講演会と語劇を開催する予定と天理時報が報じていますが、実際に開催されたかどうかはわかりません。このとき、こうした催物を開催する予定があるのは、天理中学校、女学校と女子語学専門学校のみで、語学専門学校については触れられていません。
さらに同年4月20日、天理教婦人会の総会がおこなわれ、この余興として女子語学専門学校の2年生が華語劇「包公審石頭」を演じています。また、同時期に同じく女子による「木蘭従軍」が公演されたとみられる写真も残っていますが、これについての詳細は不明です。
このように女子による語劇は戦後まもない時期からおこなわれていました。
一方、語学専門学校においては、同年6月15日に入学式がおこなわれ、22日に新入生歓迎の意をこめて天理教東講堂にて演劇部主催の語学劇大会が開催されました。語専においては、これが長期間にわたり途絶えていた語劇の復活となりました。
しかし、過去のような各語部(1944年4月より語部は語科に改称)による語劇ではなく、華語の生徒による劇が6本、ロシヤ語、マライ語、ドイツ語の生徒による劇が各1本、そして演劇部による劇によって幕を閉じました。当時は、終戦後に復員した生徒の繰り上げ卒業などがあり、授業もかなり変則的でした。そのため人数も十分ではなく、また3年生においては、戦時中は満足に勉強もできなかったはずですが、ほとんどの劇の出演者は3年生でした。
この華語の生徒による6本のうちのひとつが「芸術家」という劇で、その様子は過去のコラム「寄贈資料の紹介(2)」でも紹介しています。
さらに、同年10月27日に天理教秋季大祭にあわせて天理中学校講堂で文化祭が開催され、ここでも語劇が上演されました。天理時報には華語劇「雷雨」が演じられたとあります。その後数年にわたり、中国語部は「雷雨」を学内外にて演じています。

奈良市での開催

5ヶ月後である1947(昭和22)年2月24日、語劇は天理を飛び出し、奈良市三条通りにあった劇場「友楽座」にて公演されることになりました。
『天理大学五十年誌』によると、「この語学劇を一般の人にも公開しては、という話がもちあがり、これが具体化して」友楽座での公演が決まったとあります。これには「敗戦以来日本のよってたつは自主主義を基調とする文化国家として再建されるという方図が確立され、次代を背負う青年層が中心となって文化活動が各地にほうはいとして起ってきた」という背景があったことから、「語学校においても文化部がこの運動に呼応して誕生し若人の熱と力のこもる活動が展開された」と天理時報(1947年3月2日)は報じています。
友楽座では、各語科による語劇をはじめ、演劇部による上演や、軽音楽団の演奏、さらに語学専門学校と女子語学専門学校によるコーラスもあり、多彩なプログラムで開催されました。
これまでは、男女それぞれの学校として存在していましたが、同年4月より女子語学専門学校は天理語学専門学校に統合され、男女共学の天理語学専門学校となりました。

語劇のプログラム(演劇部やコーラスなどは除く)
・朝鮮語 新羅の花
・広東語 漁光譜
・ロシヤ語 生ける屍
・スペイン語 用心棒
・馬来語 南の十字架
・蒙古語 若き日のテムジン
・華語 雷雨


さらに語劇は大阪へ

同年10月の天理教秋季大祭がおこなわれる際には、次の文化祭での公演に向けた予行演習として天理教館にて語劇を披露します。
またこのとき、こうした集客を利用して、専門学校から大学への昇格(1949年に大学昇格)のための資金集めを学生たちがおこなっています。10月15日から3日間、天理小学校でバザーを開き、これは大祭に帰参した信者たちに好評だったとあります。さらに、街頭では学園新聞の販売もおこなっています。

そして、予行演習を兼ねた天理教館での公演の約1ヶ月半後、語劇は大阪への進出を果たします。1947年12月2日、3日の両日に、大阪毎日会館ホールで文化祭を開催し、そこで語劇が上演されました。
しかし、大阪の会館にて一般に公開するということは、語劇の歴史ある東京外国語大学、大阪に拠点を置く大阪外国語大学との比肩を意味し、それに対する是非が持ち上がり、また費用面から昨年同様、奈良での開催で良いのではないかという意見もあり、学生による委員会で論議がおこなわれました。最終的に学生投票により、60票差で大阪案が成立し、大阪での開催が実現しました。
本学第1回卒業生でもあるロシア語の稲田儀一教授は、この時のことを「大谷(深)教授と2人で寸暇をさいて屋上バルコニーで猛練習・仕上げにつとめた」と回顧しており、教員も必死になって劇の指導に取り組んでいたことがわかります。
このときも、前年の文化祭同様、語劇のほかにバンド演奏やコーラス、講演、映画などの上映もおこなわれました。

語劇のプログラム(演劇部やコーラスなどは除く)
・広東語 阿Q正伝
・ロシヤ語 桜の園
・ドイツ語 メヤーリヒト
・イギリス語 真夏の夜の夢
・蒙古語 草原の哀愁
・馬来語 ヒンズー王朝の黎明
・中国語 雷雨
・国語部 たけくらべ
・朝鮮語 春香伝
・イスパニヤ語 黄昏のブエノスアイレス


天理大学開学後

翌1948(昭和23)年及び、天理大学が開学した1949(昭和24)年に文化祭や語劇が開催された記録は今のところ見つかっていません。
1950(昭和25)年12月1日に開かれた文化祭は、大学にとって初めての、そして語専にとって最後の文化祭で、天理教館にて開催されました。

・馬来語部 王冠の悲劇
・ドイツ語部 フアスト(牢獄の場)
・イギリス語部 ドン・キホーテ
・華語部 雷雨
・フランス語部 コルシカの狹客
・宗教学科演劇研究班共演 永遠のユデア人

この文化祭については、過去のコラム「天理大学祭」でも紹介しています。
その後、文化祭は大学祭へと代わり、毎年おこなわれることになりますが翌1951(昭和26)年は、大学に設置されていた外国語系の学科は朝鮮語、中国語、英語のみだったため、学祭で上演された演劇は、国文学国語学科、中国文学中国語学科、宗教学科、英文学英語学科、演劇部による5本でした。1952(昭和27)年及び1953(昭和28)年においては、語劇の開催はありませんでした。

・国文学科 霊験
・中国文学科 あがき
・宗教学科 郭公
・英文科 当てはずれ

1956(昭和31)年から各演劇はコンクール形式をとり、団体では金・銀・銅の各賞、個人では演出・男優演技・女優演技の各賞が贈られるようになりました。コンクールの結果、「圧迫」を演じた中国語学科が団体金賞でした。このコンクールには、文学部や短大、演劇部による劇など、外国語劇以外の劇も加わったため、「外国語劇」ではなく「演劇コンクール」という名称で、その後も続きます。
さらに1960(昭和35)年からは、団体や個人賞に加え、舞台装置や効果、演出に対する表彰も追加されました。
また、全体では演劇コンクールですが、1964(昭和39)年からは各学科ごとの紹介には、ロシア学科劇、ドイツ学科劇といった各学科の名称を付けていることから、これまでの「外国語劇」や「語劇」に加え「学科劇」という呼称も生まれてきたようです。
当時、大学祭実行委員長をつとめた金山忠裕氏は「大学祭は語学劇が中心で、学科ごとに対抗意識を持って金銀銅賞を争った」(『はばたき』26号)と回想しています。 

「分岐点」を迎える

その後も順調に学科劇は継続していましたが、1969(昭和44)年の学祭では変化が訪れます。
当時の「天理大学新聞」52号(昭和44年11月1日)に「五学科で劇不参加 分岐点にきた大学祭」という見出しの記事があります。
国文学科に端を発した学科劇不参加の流れが、他学科の演劇開催にも影響を及ぼし、朝鮮学科は大学祭不参加、国文、中国学科は学科劇をせず講演会を、インドネシア学科は民俗舞踊、ドイツ学科は映画会の開催となりました。

この理由として、学科劇に対する学生の不参加・非協力、学科予算を1時間半の劇に数十万円も使うこと、時間的な拘束、劇のリハーサルのために公欠もとれない、外国語劇で語学力がつくものではない、といったことが挙げられたようです。
当時は、全国的に最も学生紛争が激しさを増した時期で、騒動により学祭が中止となった大学もありました。大学祭という場は、学生の啓発活動や意識統一の手段としての意義も有していたといいます。本学においても、こうした影響が当時の学科劇に対する混乱を招いたのかもしれません。
翌年からも学科劇をおこなう学科は一部のみで、毎年学科劇を披露する学科は異なりました。しかし、1973(昭和48)年の学祭から市中デモンストレーションと称した各学科や団体ごとに手造りの御輿を担いで練り歩くパフォーマンスに対する表彰がおこなわれたことに加え、翌1974年には学科劇のコンクールも復活し、学科劇に参加する学科も次第に出揃うようになりました。
1976(昭和51)年にはついに、宗教学科をのぞくすべての学科が学科劇に参加するようになりました。1977年の学科劇では、宗教学科も劇での参加を検討しましたが、「宗教学科独自の色彩を出す」という理由から、前年は映画会、当年は民俗舞踊の披露となりました。

改組にともなう変化

1992(平成4)年には学内にて改組がおこなわれ、それまであった外国語学部を廃し国際文化学部が誕生し、それまでの各語科に加え、タイ、ブラジル、日本学科が増設されました。また、人間学部を増設し宗教学科、人間関係学科を設置し、文学部には歴史文化学科を増設しました。
これにより、1994(平成6)年からは、タイ学科とブラジル学科の学科劇が加わりました。その後、人間関係学科や歴史文化学科も学科劇をおこなうようになります。
2003(平成15)年度の入学生からは、国際文化学部にアジア学科とヨーロッパ・アメリカ学科の2学科を設け、その中に各語コースをおく体制になりました。
これまでの外国語の各語科と新設の各コースが併存しているため、同年の学祭のプログラムにある学科劇の紹介には学科会名が記載されるようになります。例えば、エルベ会〈ヨーロッパ・アメリカ学科ドイツ語コース/ドイツ学科〉、サヤーム会(アジア学科タイ語コース/タイ学科)といった表記です。また同年より、日本語コースも学科劇をおこなうようになりました。

2010(平成22)年には、国際文化学部は国際学部となり、外国語学科と地域文化学科の2学科となります。各外国語の専攻は英米語、中国語、韓国・朝鮮語のみになり、それ以外は地域文化学科の中に設けられたアジア・オセアニア研究コース、ヨーロッパ・アフリカ研究コース、アメリカス研究コースの3コースに分類されます。こうした変遷により、次第に外国語劇を演じる学科は減少していくことになります。
2015(平成27)年に、各語劇のキャストや台本をまとめた『外国語学科2015年度大学祭語劇公演録』が刊行され、そこで岡山善一郎教授(当時外国語学科学科主任)は、大学祭プログラムに掲載された「語劇に関する記事数がめっきり減ってしまいました。これは文学・芸術活動を軽視する風潮とも受け取れ、危惧すべきこと」として、記録に残す必要性を訴えています。
2019(令和1)年の大学祭で外国語劇を演じたのは、韓国・朝鮮語専攻の金剛会、中国語専攻の崑崙会、英米語専攻のアルビオン会、スペイン・ブラジルポルトガル語専攻のアルコイリス会の4学科会のみとなりました。
その後、コロナ禍にともない学祭は中止やオンライン開催といった、これまでにない形を取らざるを得なくなり、2020(令和2)年以後、学科劇の開催はありません。

語劇を通した他校との交流

語劇は学内外での公演のみならず、語劇を通じた他校との交流の場ともなっています。
1950(昭和25)年及び1951(昭和26)年の両年12月9日に、大阪大手前会館における日中友好協会主催の日中友好協会演劇コンクールに参加し、1951年1月28日には、同会館にて本学中国学科、神戸市外国語大学中国学科、大阪外国語大学中国語学科の3大学の中国語学科共催の「全関西中華演劇コンクールと映画の会」を開催しました。
また、中国学科においては1997(平成9)年から2013(平成25)年までの間に、本学学術交流協定校である台湾の中国文化大学を会場に12回もの中国語劇を公演しています。秋の大学祭で公演した劇を、その年の12月、もしくは翌年の2月に台湾で公演し、「語学力も演技力も、学生とは思えないほどレベルが高く、内容も非常に分かりやすい」(天理時報2006年3月19日)と、中国文化大学学長からも賛辞を頂いています。

スペイン語においては、1967(昭和42)年に開催されたロペ・デ・ベガ杯語劇コンクールに出場し、この第1回目から2005(平成17)年の第39回に至るまで、幾度も出場し、何度も優勝しています。

参考資料

・天理教道友社『天理時報』 1946年1月20日、1946年7月7日、1946年11月3日、1947年3月2日、1947年11月2日
・『天理大学五十年誌』天理大学五十年誌編纂委員会編 1975
・天理語学専門学校文化部新聞班『天理語専時報』第1号 1947年10月15日
・稲田儀一「戦中・戦後のロシア語教育」『天理大学学報』31巻5号 1980年3月25日
・天理大学広報誌『はばたき』26号 2014年1月22日
・天理大学新聞部『天理大学新聞』52号 1969年11月1日
・天理大学祭プログラム
 

(年史編纂室 吉村綾子)

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