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 【天理大学百年史コラム(4)】

應援團と情報誌『BODY』

本学の学生全員を応援するため、またクラブ活動に励んでいる選手を応援するために、本学には応援団があります。
最初は、柔道の大会に際し臨時で応援団が結成されていましたが、1960(昭和35)年に正式に発足しました。しかし現在は、団員不足のため活動休止が続いています。

本文最後に2003(平成15)年の応援団の動画があります。ぜひ、ご覧ください。

応援団の活動

応援団といえば、各クラブの試合会場での応援活動が思い浮かびますが、そうした活動に種々制限が加えられていき、壮行会に切り替えるようになりました。また、1971(昭和46)年6月5日に「乱舞祭」がおこなわれました。(『天理大学五十年誌』)
「乱舞祭」とは、応援団の単独ステージで、魅せる応援団の場としておこなわれていましたが、平成初期にはすでにおこなわれていなかったといいます。しかし、1992(平成4)年に、応援団の活動を活発にしようという目的で「乱舞祭」を復活させました。
 

団員の確保

発足から約30年後の1993(平成5)年の応援団員は、1年生から4年生までの合計15人でしたが、そのうち4年生は団長の山本幸太郎氏ただ一人でした。
山本氏が入団した当初、同期は6人いましたが、そのうち3人に減り、やがて最後は山本氏一人になりました。山本氏の2年先輩の学年も、数名いたようですが、最終的には全員辞めたそうです。

当時の団員には南寮生が多かったといいます。寮の先輩が新入寮生に入団を勧誘する形が定着しており、山本氏や同期だった3人、また2年後輩の7人のうち5人が寮生でした。
ただ、新入生の応援団への勧誘は難しく、さらには4年間続けることも大変だったのが現状で、なかなか団員が集まらない状況でした。
 

新たな取り組み

こうした中、同期の中でただ一人残り、団長に就任した山本氏は、「何か応援団が主体となってできることをしたい」、「今までの堅いイメージの応援団とは違う面を見てほしい」といった思いから、団長としてそれまでとは違うことをやってみようという思いがありました。
その結果、山本氏は乱舞祭はおこなわず、各体育系クラブを紹介する『BODY』という情報誌を発刊しました。
そこには、「体育学部の広報を応援団が担ってもいいんじゃないか」という考えがありました。そして実は、乱舞祭をおこなうには、会場となる天理市民会館を借りる費用が必要であり、周辺の飲食店をまわって、資金集めをしなければならないという難点もありました。
 

「南棟生」と「学部生」の心を近づけるために

『BODY』は、見開きに団旗を掲げた写真と、逍遙歌の歌詞が掲載されています。団旗は、杣之内第一体育館の玄関がすっぽり収まってしまうほどの大きさで、応援団の力強さと勇壮さが伝わってきます。
そして、すぐに目に飛び込んでくるのが、「“南棟と学部”-これは永遠のテーマなのだろうか-」という題字です。そして次ページに「交流は実現するか?南棟生、学部生の緊急座談会」が掲載されています。「南棟」「南棟生」とは、杣之内キャンパスで学ぶ学生らを指し、「学部」「学部生」とは、田井庄キャンパスで学ぶ体育学部生を指しています。

キャンパスが離れているという物理的な距離もありますが、交流するきっかけが少ない、お互いの情報が不足している、という状況が「南棟と学部との壁のようなもの」を造っていると感じている人が多いことから、こうしたテーマが取り上げられました。これは、以前から本学の学生にとっての課題になっており、学生自治会でもこの改善に取り組んでいました。

例えば、ホッケー部は強豪であり、おやさとホッケー場も杣之内校舎から近いが、応援に行く人が少ない。体育系クラブの成績や注目されている選手がいるのに、南棟生の間にはそういった情報があまり伝わっていない、といったような状況があるのです。
こうした状況を改善するために、応援団は「手段の一つとして情報誌作りに踏み切った」、「スポーツ系クラブの人達の素直な気持ちをストレートに南棟生に伝えることを目的」として『BODY』ができあがりました。

『BODY』は、体育系の各クラブの紹介がほとんどのページを占めています。各クラブに原稿を依頼し、それを掲載する形で編集を進めていましたが、原稿集めやインタビュー、取材に奔走していたのは山本氏の後輩たちだったそうです。
なかなか原稿を出してもらえず、回収に走り回り、中には馬術部の取材に行ったところ、実際に乗馬をすすめられ、筋肉痛になって大変だったというエピソードもあります。
 

『BODY』発刊の翌年

このようにして応援団の努力が詰まった『BODY』は、無事刊行され、学内の各所に無償配布されました。

応援団は学祭を終えた後、11月に4年生が引退します。山本氏の引退の翌年(1994)は応援団創立35周年記念として、乱舞祭が天理市民会館でおこなわれました。
また、同年のクラブオリエンテーションのパンフレットは、自治会実行委員会だけではなく、応援団(チアリーダー含む)も共に編集者としてかかわっています。前年までは、自治会だけで作成していたようですが、このような変化も、前年の『BODY』刊行の影響があったのではないでしょうか。

引き継がれる学ラン

ちなみに、応援団といえば学ラン姿が特徴的ですが、山本氏の時代は、1~2年生は先輩のおさがりを着用し、3年生になったら自分の学ランを買ってもいいということになっていたそうです。山本氏も大阪まで買いに行って裏地などを決めた思い出があるそうです。

このように、学ランは後輩たちへと引き継がれていきました。今後、応援団が復活すれば、先輩たちの残した学ランに袖を通して、その歴史を重んじながらも新しい風を吹き込んで、天大生を応援してくれるでしょう。

天理大学応援団からのエール

2020年6月現在、新型コロナウィルス感染対策のため、本学では様々な対応に追われています。
少しずつ緊張状態が緩和されつつある現状ですが、まだ以前のような学生生活を送ることができない日々が続いています。

この困難な状況を乗り越え、前進するため
すべての天理大学にかかわる方々へ、天理大学応援団からのエールを動画でお送りします。
※文中では「應援團」を「応援団」と表記しています。

『天理大学五十年誌』天理大学五十年誌編纂委員会編 1975 
写真はすべて年史編集室収蔵


(年史編集室 吉村綾子)

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